いつか愛せる

DVのその後のことなど

義父の通院と施設への感謝

 介護の話の続きを書くのがまた難しくなっている。介護以外の問題で当時の日記がグチャグチャだから😥 でも義父を送るところまでは書く。

(前回の話はこちら)↓

 

 義父の入所施設から連絡あり。要介護の区分変更のための調査があったが、その日は妙に義父の具合が良かったとのこと。明確に受け答え、ひとりで立ち歩き・・・これでは区分変更は難しい。要介護5に上がると期待したのに。要介護4で利用できる介護保険を計算すると、毎月6~7万円の足が出て自己負担になるという。

(要介護認定の悩みの話はこちら)↓


 施設側でも色々と配慮はしてくれる。今は下痢が落ち着いて来たので、オムツ交換のケアを減らしますとのこと。その分の費用を減らせる。もちろん了承した。

 義母が亡くなり義父も施設に落ち着いたことから、必要な予定がなく休むことの出来る休日も出来た。夫も私も体調は悪く、単純に会いに行くような余裕はなかった。

夫は、自分の判断ミスで義母の死に目に会えなかった(間に合わなかった)ことを悔いた。静かに涙していた日もある。再飲酒して荒れた日もある。

(ブドウの花言葉は「酔いと狂気」「陶酔」「親切」「神の施し」など)

            

 義父の通院日。やはり夫はどうしても起きられず、私ひとりで行った。所長さんが病院まで車で義父を連れて来てくれる予定が、約束の9時半になっても見当たらない。やがて遅れて到着して受付だけ済ませると、すぐ次の仕事に向かった。かなり忙しそう。

 私ひとりで義父に付き添ったけれど、同居の経験がないため動かすことに慣れていない。採血、心電図、レントゲン・・・義父に車椅子から検査台へ移動してもらうのに一苦労だった。施設の人が付き添う時にはやってくれたんだなあと思う。

 内科では「状態は良い」と言われた。数値が正常になったので糖尿の薬はやめてみるとのこと。施設の食事のおかげだと思う。

整形では「もう足の指の切断をしない」という夫の言葉を伝えた。状態に変化は無く、少し膿が出ている程度。義父の痛がり方はやや減ったようだとのこと。翌月もまた2回通院しなくてはならない。

 施設に電話して迎えを依頼し、車の中で所長さんと話した。実は「今月でスタッフが2人やめてしまう」とのこと。団塊世代の高齢化で今後も人手不足は続く。病院への送り迎えも出来ない可能性がある、と聞き憂鬱になった。

でもこの時に、施設の義父への心配りも実感した。肉が好きで魚のおかずだと食べない義父のために、食事のメニューを分けてくれたらしい。義父の内科的な状態が良くなったのは、この施設に入ったお陰だった。

 施設に戻り、義父にはすぐお昼ご飯のため食堂へ行ってもらい、私は常駐している看護師さんに診察結果を報告した。この施設は昼間は看護師さんがいるため、毎日義父の足の洗浄をしてもらえて本当に助かった。医療行為にあたるため、医療従事者か家族にしか出来ないから。

 知識もツテもなかったけれど、良い施設を選べたと思う。高級なタイプではないし人手不足もある。でも所長や担当スタッフは、この仕事が好きで働いている人だと思えた。多分そこが一番大切。

面会に行くと、義父の担当スタッフは「ありがとございます」と笑顔で迎えてくれた。それは、家族の来訪を入所者が喜ぶからに違いない。こちらこそありがたい。

どうかこういう方々が元気に働き続けられますように。人手不足が改善されますように。