いつか愛せる

DVのその後のことなど

母と義母と、旅行と帰郷と最後の対面

 自分が新婚旅行以来31年ぶりの夫婦旅をしたことで、親世代の外泊や帰省を考えた。

私の母は出身地が遠くても毎年帰郷したし、子育てが終わってからは友人との旅行や外出もする。ただし夕飯を作る時間には急いで帰宅した。食事の支度は誰でも出来るからゆっくりすれば? と何度か勧めたけれど聞いてくれない。

 一方義母がひとりで外出したところは見たことがない。世代の相違なのか、私の母も義母も、家族を置いて出かけることに大きな抵抗がある。

義母は独身のころよく山歩きをしたと聞くので、出不精ではない。山歩きの他に好きなのはタンゴ🎵だとか。義父と踊ったこともあるのかな。まだ介護が始まる前にお勧めしたことがある。「タンゴのコンサートチケットを取りましょうか?」「休日なら私がお留守番してお父さんの夕飯の支度しますよ」と。

            

すると「帰りの時間が遅くて暗くなるのが嫌」だという。確かに、義実家は川沿いの人通りの少ない場所にあるけれど、そんなに怖いかな。若いころから平気で夜道を帰宅した私とは大違い(ナンパや痴漢にもあったけど)

 それで「一緒に行きませんか?」と言ってみた。私はタンゴに馴染みはないものの演奏やダンスを見るのは好きだし、義母を送ってから私が家に帰ればいい。

でもやっぱり「時間が遅いから」とか「体力が」とか···😅もはや外的理由でなく、本人が自分を縛っていると判明。

 家業が忙しかったころ、せっかく近所まで来てくれた友人と会うのを断ってしまったことがあると聞いた。それきり2度と会えずに義母は後悔していた。

義母の出身地は一時間ちょっとで行ける都内にもかかわらず、長いこと帰省もしなかった。両親(私の夫の祖父母)のお見舞いで一度だけ会ったのが、どうも私たちの結婚式以来だったよう。

 そのせいか、晩年になって私に言ってくれた。「ご両親が元気なうちにたくさん会いに行ってあげてね」

義母がどんなに忙しくても、まったく行けなかったとは思えない。義父はそれを嫌がるタイプではなかった。実は「弱った親を見たくない」「どう接していいかわからないから」のが理由だと話してくれた。

ああ、そういう感性の人もいるんだなあと思った。そう言えば、義母が亡くなる前の義父は同じような感覚だったかも知れない。弱った義母を「見たくなかった」と言ったっけ。

 会いたくない気持ちも尊重したい。ただ、待っている側の気持ちはどうなのかなあ。お祖母ちゃんは会いたかったろうし、義母もそれはわかっていて悩んだはず。

 もし私が夫より先に動けなくなって入院した場合、どう思うかな。寿命が近づいて枯れたような姿を見せたくない思いも、きっとある。痛みや苦しさやその他で、もはや自分らしい言葉も出せなくなる可能性だってある。

それでも、もし夫が動けるのにまったく来なかったら? 捨てられたと感じて寂しいと思う。そう思うので、義両親にどうしても最後の機会に対面してほしかった。

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 先日、初めて旅行の記事を書いたら、読者さんが増えました。あの手の記事は滅多に書かなくて、普段の記事はこんな感じですよ〜😓大丈夫ですか?

 このブログの趣旨の一番は「DVからの回復」で、次くらいに「実家や介護」の話です。他は私の脳内と同じで、どんどん話がワープしてまとまりない雑記でございます。