いつか愛せる

DVのその後のことなど

上を向くために出来ることだけやる

 今日は時間という意味では余裕があったから、生きて現状打破するためにジタバタ動いた。出来ることをやろう。日常の小さなことだけど。

今後のために祈った。指定難病療養費申請のための書類を書いた。自分の衣替えをした。夫が食べたいと言うクリームシチューを夕飯に作った。昨日から痛む左足首をお風呂で温めた。記事をいくつか読んだし、自分も書こう。

 はてなのトップページにこんな記事があったので、気になる箇所をピックアップ。

突出した能力がなくても「専門性」は身につけられる。そのための小さいけれど大切な日常習慣。 https://studyhacker.net/mineki-kokubu-interview03

  • インターネットの浸透によって誰もが専門知識を手に入れられるいま、ただなにかを知っていることに大きな価値はない。専門知識を自分なりに咀嚼し、これまでになかった新しい知識のアウトプットができる。それが、「専門性がある」ということ
  • 「すぐ役に立つ」ことは、「すぐ役に立たなくなる」
  • 仕事において自分なりの専門性を身につけようと思えば、「自分なりの問いを立てる」ことが不可欠。
  • 自分なりの問いを立てるためには、「自分なり」を日頃から強く意識する。具体的には、周囲に臆することなく「自分なりの意見を口にする」ことを心がける
  • 自分の「好き」を徹底的に追求すれば、自然と研究マインドと強いエネルギーを手にできる。逆に、「好きではないけれど、役に立ちそうだから」と学ぼうとしても、根気強く学ぶことはできないし、得られたものは専門性と呼べるまでには至らない

 私はビジネスをする野望はないし、今の職場で底辺から出世する気もない。そんな私でも「専門性」を身につけられると希望を感じた。

 本の続きを書きたいと言いながら、私に専門知識があるとは言えない。今から勉強しても既存の専門家には追いつけない。でもDVや共依存については、すでに結構知っている。それを自分なりに咀嚼すれば「新しい知識のアウトプット」ができる。私が書きたい本って、そういう物だよね···? (オリーブの花言葉は「平和」「知恵」)

           

 20年以上前に自費で出した拙い本が、少しは売れて(それでも経費回収にはまるで足りませんが)文庫化までされたのは、それまで誰も書かなかったから。DVを経験した本人が、しかも離婚しなかった実例を自ら書いたから。

ただそこに専門性は無かった。私は自分の経験とそこから学んだことしか書いていない。価値があったとすれば、希少性と「事実」という重みだけ。

 価値のある物を書きたいなら、いくらかの専門知識を仕入れて、自分なりに咀嚼してアウトプットすること。価値があるのは「専門知識」以上に「咀嚼したアウトプット」の方のはず。それならきっと出来る。というより、かつてホームページを運営していたころも、今のブログも、ずっと咀嚼を続けている気がする。

 まだまだ知識は足りないし、咀嚼も下手くそ。時間ばかりかかって上手にアウトプットするテクニックもない。ただ、もしかして私は「自分なりの問いを立てる」ことは得意なのかも知れない。だってしょっちゅう自分が書いたことに突っ込み、自問自答している。

多分、好きだから自問自答を続けるのだと思う。そうか、好きだから得意なのか。誰かの役に立ちたいというのは、実は後付けの理由かも知れない。

 書くと少し気持ちが↗️上向きになったきた。上を向いて、やれることを続けていれば、きっと現実も上向きになると信じる。