いつか愛せる

DVのその後のことなど

久しぶりに父と会う予定

 来週、かなり久しぶりに私の父に会いに行きます。父は今⚪︎⚪︎ケアセンターという病院と老人ホームの中間のような施設にいます。会うと言っても、コロナ禍以降いまだ面会時間は15分のみで一度に2人までです。あっという間に終わるでしょう。

(雪花草の花言葉は「君にまた会いたい」「デリケートな美」など)

          

◆何か差し入れたい 施設に電話して「差し入れできるものはありますか?」と聞くと、「なま物はNG」「ハサミや筆記用具など(先が尖っている)危険物はNG」とのこと。父の好物は刺身なので、持ち込みは無理ですね。そのまま本人に電話を取り継いでもらい聞いてみました。

「面会に行けるけどほしい物ない?衣類は足りてる?読みたい雑誌とかは?」と聞くと「気持ちだけで十分だよ。衣類も余るほどあるよ」と言われました。声は思ったより元気で安心しました。

◆電話をくれなくなった 数年前は入院中の父に手紙を出すと、病院の公衆電話を使って「ありがとな」と電話をかけてくれました。今の施設には公衆電話がなく、入所者が電話したいときはスタッフに携帯を借りることになっています。それが面倒なのか、まったく父の方からは連絡がありません。スタッフに頼むのが面倒なのか、それとも電話すること自体が面倒なのか。はたまた私の手紙を気にかけてくれなくなったのか。手紙はスタッフが一緒に読んでくれるので届いてはいるはずです。

◆義父との比較 最晩年の義父を思い出します。義父は施設に入ってからは行事があっても部屋から出ず、他者と交流することもありませんでした。食事時は職員さんが車椅子で食堂に連れていってくれましたが、食べ終わると部屋に戻って横になりたがりました。私と夫が面会で散歩に誘っても断ります。車椅子で近所の公園に行きたいと言うと、職員さんは歓迎してくれたのですが。

それほど疲れやすくなるものなのかと思いました。一日中うとうと半分眠っているようで、大好きだった甘い物にも以前ほど興味を示さなくなりました。

◆私の手紙 私の父も、あのころの義父の状況に近づいているのでしょうか。電話をすれば喜んでくれているようではありましたが。私の手紙は記憶に入っているのかなあ。伝えたいことや母のことで理解してほしいことなど書いてきました。本来、読み終えた手紙は職員が預かることになっているそうです。←無くしたり、稀に食べてしまう人もあるそうで。でも私は「無くしても構いませんから私の手紙は本人が読めるところにおいてください」と頼んであります。頭の刺激のためにも、たまには読んでくれるといいなと思うのですが。

◆会いたい 私を娘だと認識し気遣ってくれるだけでもありがたいことかも知れません。あと何回くらい会えるのかな。そして何回くらい心の通じる対話ができるのかな。

コロナ前のように、早く好きなだけ会える世情になってほしいです。それでも頻繁には行けませんから。