いつか愛せる

DVのその後のことなど

義父が指の切断をした日のこと

 以前に、義父の足の指切断の話を記憶だけで書いたのが下記。

義父の足の指切断の話 ↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2022/12/06/200000

 

 当日の記録を見ると、病院でも私はスケジュール調整でバタバタしまくっていた。義父が退院する際にヘルパーさんが動けるのか、以後の通院をする時はどうか。そして義母の退院時はどうか。

自分が手を離してヘルパーさんが動いてくれるのに、ヘルパーさんとのスケジュール調整がストレスになってきた。距離を取るってつくづく難しい。

手術を待っている間に日記もどきの記録も書いたが、目がすごく辛かった。眠いというより、自分の中のエネルギーが空っぽに近い感じ。

 義父はずっと不安そうな様子で、何度も何度も「いつまで入院だっけ?」と聞いてきた。もう帰れないような気がしていたのかも知れない。

でも手術が終わった後は落ち着いた。局部麻酔で「どこも痛くない」「忙しいのにすまないね」と私を気遣ってくれた。私はどう返したか覚えていない。

 帰る前に同意書を1枚書かされた。義父が入院中不必要に動いてしまう際に「拘束しても良い」という同意書。嫌だけれど危険がある場合は仕方ない。

この時、義母が譲ってくれた(それなりに高級な)腕時計のベルトが壊れた。縁起悪い、という思いを振り払う。

 

 義実家に戻り片付け物をしていると、義父がいる病院の入管カードを持ち帰ってしまったことに気付く。ああ失敗して仕事を増やした。電話して郵送することにする。

義実家の冷蔵庫を見ると、消費期限の近いものや過ぎたものがゾロゾロ出てくる。入院騒ぎでヘルパーさんに食事を作ってもらう機会が少なかったせいだ。いくつかは捨てて退院時まで保たないものを引き取った。かなりの量。

 やっと自宅に戻る。夫の状態も良くはなく落ち着けない。夜の8時ごろ知らない番号から電話あり。色んな所から電話があるので迷惑電話かどうかわからない。恐る恐る出ると、義母のコルセットを作ってくれる技師さんだった。フルオーダーのコルセットは3万円以上もするが、手続きすれば9割が戻ると教えてくれた。

              

 でも技師が義母を訪ねる予定の日と、入院時に担当医が言った義母の退院日が同じ日。義母はまったく良くなった様子はない。

しかも私が昼間電話で義母の病院に退院時間を聞くと、看護師さんに「その日の退院指示が出ていない」と言われた。本当に義母は退院できるのか? すごく不安だった。義父が退院したとき家に義母がいなかったら・・・義父をひとりにしておけない。でも考えてもその時点で出来ることは何もない。

 リラックスしなくてはと寝る前にストレッチをしっかりやった。けれど体はいくらかほぐれてもやはり眠れない。

義実家と距離をとるチャレンジ⑤

 この週はどうにも義実家と距離をとりようがなかった。

<日曜日>トイレが溢れる

 午後は雨の予報だったが荷物が多いので、帰りはカッパを着る覚悟で自転車にする。支度しているときにヘルパーさんから電話。義母が使っているポータブルトイレの中身を捨てようとしたらトイレが詰まってしまったとのこと・・・・こちらで業者を依頼してすぐ義実家へ向かう。着いてトイレを見ると、便座は洗ってくれたらしいが確かに水が汚れたまま。トイレも洗わなくてはならない。

 義母は体が辛いらしく本当に動けない。入院したいと言われれば私は手続きする気でいる。義母は以前の入院が1泊1万5千円だったことで遠慮しているのがわかり「あの時は個室だったからです」と説明。

この日から3日間、義父と義母それぞれが安心できる場所に入ってもらうために、多くの関係者を巻き込んで駆けずり回るような奮闘をした。私は電話の相手が誰だかわからなくなるほど何度も問合せ交渉もした。

 

<月曜日>義母入院

 午前中だけ会社へ行き早退。義父をショートステイに入れてもらおうとしたが、1泊1万円以上(義父は2割負担)と高いので断念。足の指を切断する予定の病院にすぐ入院させてもらえるよう交渉したが、診察しないと決められないと断られる。

 夕方から行くはずだった不動産屋をキャンセルして義実家へ。義母は訪問の医師の手配で入院できることになったので、付き添って夕方5時過ぎに病院へ。担当医は入院を渋っており、その時点では「1週間後にコルセットが出来るからその日に退院」と言われた。矛盾するが構っている暇はない。義父をひとりにするのが心配なので急いで義実家へ戻る。

 

<火曜日>義父の通院と入院決定

 「状況次第で休むか遅刻かわからない」と会社に連絡し、義父が指を切断する予定の病院へ。事情を汲んで翌日入院させてもらえることになった。会社は休むことにする。

昼過ぎに義父を病院から義実家に送ってお昼を食べてもらい、私は次に義母が入院した病院へ行く。正式な入院手続きと保証金と訪問看護の料金を支払う。

 夕方義実家に戻り、ケアマネと今後のスケジュールの打ち合わせ。義母は介護認定のやり直しが必要(確実に要介護度が上がっている)だし、ヘルパーさんに退院時の付き添いをしてもらうには、時間調整と支払い方法変更をクリアしなくてはならない(ヘルパーさんにお金を預かってもらえないため)

 あまりにバタバタした綱渡りで、予定を紙に書いて何度も確認しないと頭がついていけない。夫には「どこで線引きするか考えろ」とも「よくやってくれた」とも言われた。夫も私も疲れているのに眠れない。

 

<水曜日>義父の入院

 残り少なくなった有給をとり、9時ごろコンビニと銀行による。自分の昼食を買い前回入院時の支払いと今回入院のための出金。義父の準備はヘルパーさんがしてくれたが、庭やふとんで粗相して迷惑をかけたようだ。入院先の看護師さんにトイレの心配を説明。

         

 この日に足の指の切断手術をした。当時の記録は情報量が多すぎてグチャグチャだったが、この3日の動きをすこし整理できた。いかに忙しかったか。色々な人が動いてくれたか。そして私が義父と義母のメンタルに配慮してあげられなかったことも。

今は当時の自分に「よく頑張った」と言いたい気持ちと、義父母にもっと優しく接したかったという思いと、両方ある。

義実家と距離をとるチャレンジ④

 2018年のゴールデンウイークに、夫が義母と電話で話している最中に吐いてしまった話の続き。

しばらくして夫の吐き気と冷や汗は治ってきたので、心配しているに違いない義母に電話で報告。

でもその後は下痢。薬を飲んでもまた吐くし手も震えていた。夫が眠れないので私も朝方まで起きていて、ようやく明るくなってから眠った。

しかたない。連休明けも休もう。連休の中日も出社出来なかったので、多分私は十連休くらいになった。仕事のことを考える余裕もない。

 月曜日はどうせ有給を取ったのだから、漢方薬局に行って夫の薬や食事の相談をしようと思い立った。夫ひとりにしておくのは不安だけれど、どうしても役に立つ知識がほしかった。この日もあまり眠れず。

 火曜日は夫の薬が届くのを待ち遅刻して出社。この日は、義父の通院日だった。私が手を離したのでヘルパーさんが付き添ってくれた。ステントの手術後の経過がいまひとつだったのか、義父はついに右足の親指と人差し指を切断することになってしまった。

2週間後に手術の説明があるから、その日は家族の付き添いが必要とのこと。手を離すことにしたのにまた私が行くのか・・・

 夫には義父の件はまだ話せる状態ではないと思い、すぐには伝えなかった。具合も悪すぎたし、他にもストレスになる心配事が多すぎた。 

 義母の具合も良くならず、また介護タクシーで通院していた。もし義母が入院となってしまったら、義父をひとりにはしておけない。義父も同時に入院してもらわなくてはと考えていたが、幸い義母は帰ってきた。ただし背骨がつぶれて中で出血しており、絶対安静だという。コルセットを作るため翌週も通院しなくてはならない。 

実はこの週が、義母が自宅で過ごせた最後の週になった。

          

 この時期には「これでもか」というほど次々にトラブルが起きた。何ひとつ改善しないうちに次の問題が起きる。スケジュールもどんどん変わっていき、日記もどきの当時の記録は混沌としている。

 この時、同時進行で私は義実家の土地(家は古いので価値なし)の見積もりを複数の会社に依頼していた。医療費もかさむし、退院出来たとしてももう自宅にもどるのは無理だろう。施設に入るためにお金の用意もいる。

名義人である義母の了承もとれないうちに動いておかなくてはならず、何もかもが綱渡りだった。

助ける準備

 このごろ都営交通で痴漢対策ポスターをよく見る。「助ける準備、できていますか?」と、声をかけることを含め3つの対策を紹介。助けることを促す対策は初めて見た。

         

これまでは「痴漢は犯罪です」と、おもに痴漢予備軍に呼びかけるポスターだった。あれは効果が薄かったのだろうか。

 いいな。いい。痴漢という社会問題が存在することが明確になった。公共交通機関を利用する女の子たち・・・・・だけじゃなくて、男女問わずいくつになっても被害にあう可能性はあるけど・・・・・ひとりで悩まなくなるといいな。

 私は中学から電車通学で、何の予備知識もなく殺人的ラッシュで揉みくちゃになり、時には窒息しそうになりながら毎日痴漢にあった。階段から離れたドアから乗る方が少しはすいているなんて知らなかったし。

 本当に誰にも相談出来なかった。親にはひとことも言っていない。同級生で電車通学しているわずか数人と、ごく稀に「嫌だよね」と言えただけ。

こんなに気持ち悪くて嫌な思いをしているのに、あいつらは何の咎めもうけずに生きているんだと思った。あいつらにとって、私は吊り革程度の存在だろう。感情や人格のある人間だと認識されていないと思った。初めて哲学っぽいことを考えたかもしれない、13歳の私

 電車だけではない。運の悪いことに、駅から学校までの道のりは、ちょっと危なげな繁華街を通らなくてはならなかった。信号待ちしていると後ろからお尻をさわってくるゴミが居たし、部活で帰りが遅くなるとキャバレーの客引きの男性がふざけて声をかけてきた。(学校の場所は悪くないし良い学校だった)

 誤解のないように言うと、私はまったく色気なく痩せっぽちでお下げ髪の少女だった。痴漢が狙うのは恐らく、性犯罪で捕まった人と同じ。性犯罪者の7割が「騒ぎそうにないおとなしそうな相手を選んだ」という統計があるらしい。私の体感でも「でしょうね」と思う。

 

 何年たっても被害の話は腹が立つので、助けられた話をしよう。私があった痴漢はオジサンばかりで、一度だけ高校生男子に助けられたことがある。私の近くに複数の男子高生がいて、私が必死に痴漢の手を振り払おうとしているのに気付いてくれたらしい。ひとりが他の男子に話しかけた。

「痴漢してるオヤジがいる」「何、ナニ、どうした?」「拒絶されてやんの」

自分のことだと理解したらしい痴漢は私から離れた。あのときの男子たち、ありがとう。お礼も言えなかったけど、単に話題にしたのじゃなくて助けてくれたとわかっている。

 助けるのは意外に難しかったり勇気がいる。仲間と一緒の男子高生でさえ、間接的な助け方だった。照れ臭さもあったのかどうかわからないけれど。でも助けたゆえに逆恨みされる可能性だってある。

 だから、助け方を教えてくれるあのポスターはなかなか良いと思う。ただ、私がかつて乗っていた電車ほどの殺人ラッシュだとスマホ出して被害者に見せるのは無理・・・テレワークの普及でそこまで混まなくなったかな? さらに私はガラケーユーザーなのであの手は使えない・・・・・・😢

フィギアスケートや宝塚と違って歩くこと

 昨日、夫が「見れば?」と見つけてくれた動画。フィギアスケートの「Fantasy on Ice 2022」羽生選手の滑りとインタビュー。うん、いいね。滑っても話しても見とれる。

元々アスリートと同時にエンターテイナーであったと思うけれど、プロになってエンターテイナー部分の自由度が増した感じ。アスリートでありながら表現力は完全にダンサー。

               

 彼のスケートを見てふと、子どものころ見た水中バレエを思い出した。どうしてだろ? スケートとはスピード感や迫力がまるで違うのに。水中バレエはスローな動きの優雅さがむしろ魅力だった。

ちょっと考えて気づく。彼のスケートにはほとんどステップと言うか、助走がない。歩く走る移動するという繋ぎ目のような無駄な動きがなく、すべてが美しい。人間の基本である歩くことの縛りがない。まるで水中のように自由に見えるからだと納得。

 そういうスケートをするためにどれほど苦労しているんだろうな。クラシックバレエにも似ている。バレエは重力から解放されているけれど、彼のスケートもそれに似ていて、歩くことから解放されている印象を持った。

歩くことって、普通の人間臭いんだなあ。

 

 私は宝塚の舞台を、一度だけ大劇場や東京宝塚劇場ではない、地方公演でも観たことがある。内容は本公演とまったく同じだけれど、ステージの設備が違う。普通の公会堂などには大階段も、セリ(←舞台の一部が上下する)も花道(舞台の脇道)もエプロンステージ(←舞台前面の銀橋とも言う)も無い。

 本公演ではトップスターはほぼセリ上がって登場し、暗転でセリ下がって退場となる。(花道から現れることもあるけど)つまり劇中の演技以外ではほとんど歩かない。

地方公演を観たとき「何だかやけに歩くシーンが多いな」と感じたのは、出入りのために歩くからだった。一瞬で現れたり消える方が幻想的なのに。

             

 で、歩くことの人間臭さに気付いた。エンターテイメントの世界では、普通の人を演じる時以外は歩く姿をほとんど見ない。

一方普通の人は、生きている間は(車椅子や歩行器を使おうとも)なるべく歩くべきなのかな。歩く動きが人間臭いということは、それは基本だからだよねと思った。

義実家と距離をとるチャレンジ③

 2018年のゴールデンウィーク前半の夜、夫の具合がまたひどく悪くなった。翌日の5月1日は出勤日だけれど休んで家にいることにした。買い出しも近所で済ませ一日中家にいた。

どうも消化の悪いものや添加物の多いものを食べると吐いてしまうようで、シンプルな野菜スープなどを作った。でも夫が好む味付けにしようとするとまた添加物が入ってしまう。

 午後になって義母から夫の携帯に電話があった。夫は出る元気がないので私が出る。義母はまだ「お腹や腰が痛くてどうにも辛くて」連絡してきたらしい。その2日前にも便秘で苦しいと言っていたが治っていなかったようだ。

でも平日に私が家にいたことで義母は悟ったらしい。夫の具合が悪いのだと。私が何か言う前に「看護師さんに電話してみます」と言って電話を切った。

 私はグラグラ迷ったが今は行くべきではないし、夫も行けとは言わない。かつてこんな時には夜でも駆けつけて病院に同行出来たのに。

気になってケアマネージャーに電話してみたが話中でつながらない。(どうやら義母と連絡をとっていたらしい)結果、ケアマネが介護タクシーを呼び病院で待っていてくれることになったと聞いた。少しホッとした。

 

 翌5月2日は出勤できたが、連休の後半も夫の具合は悪いままだった。夫は胃を休めたいからと食事も漢方薬もとらなかった。目が落ち窪んで外国人のように彫りの深い顔に見えたし、私もやつれていた。      

 連休最終日の5月6日は日曜日で私は義実家へ行く。いつも行く前に義母に電話して「お昼に食べたい物はありますか」と聞くが、大抵「食欲がない」という。元気なときは食べることが大好きな人なのに。やむなく柔らかくて食べやすそうな物を選ぶ。

買い物から一度自宅に戻り「お母さんの声に元気がない」と言うと、夫は「俺の心配してすぐ帰らなくていいからお袋の話相手をしてやってくれ」とのこと。私は自分の体がふたつあればいいのにと思う。

 義母はひどく辛そうでほとんど座ったまま。食欲もなくベッドの上も妙に散らかっていた。少し片付けていると「書かなくてはならない書類がある」と言われたが見つからず。

ヘルパーさんが記録してくれているノートを読むと、先週は義父がお腹を壊して大変だったらしい。ヘルパーさんは汚れ物のしまつで苦労したろうし、それは義母のストレスになったろう。

 帰宅後にそんな報告をすると、夫は義母を励ますために電話をかけた。ところが、話しているうちに夫の気分が悪くなり、吐いてしまった。台所にいた私はあわててボールを持っていく。とは言えほとんど食べていないから出るものはいくらも無い。義母は察して電話を切ってくれた。

           

 この時期の日記もどきのメモを読むと、うがあぁぁぁ!!😂っとなる。実際には介護のことより自分たちの問題の方がよりたくさん書かれている。ブログ記事を書く前に記録を読むのが重くて疲れる。ちょっとこのネタ休もうかな。

それにしても、このころ義母は本当に不安だったろうと気の毒に思えてならない。義父はいつもテレビの前にいてあまり話さないので、どう考えていたのか不明。

義実家と距離をとるチャレンジ②

 義父の退院翌日の月曜日、職場の最寄駅についたところでケアマネージャーに報告の電話をしようとした。ほとんどの関係者は平日の昼間しか連絡をとれないので、仕事の始まる直前の朝9時前後、私は連絡や支払いに忙しく動いていた。その日はちょうどジャストタイムでケアマネの方からかかってきた。

手術した医師が書いた注意書きのようなもの(?)を取りに行くというが、私は医師からそんな物は受け取っていない。もう自分が倒れそうなので「今後の通院からは手を引くこと」「日曜日だけは何とか実家へ行くこと」を伝えた。

 午後、義母からも電話がありすぐ訪問の看護師さんに代わった。義母が私の業務時間内に電話してきたということは、かなり急いでいたのかも知れない。

どうやら手術した医師から訪問の主治医あての書類が必要なようだが、私は預かっていないとしか言えない。昔の私ならあわてて探したり、退院した病院に問い合わせたりしただろう。でも何もしなかった。どうなったか知らないけれど、私がやらなくても事は進んだ。

 その日の仕事帰りには漢方薬局に寄った。自分と夫の健康を優先するために他のことを考えるのをやめた。以降は夫のことをメインで相談するために漢方薬局へ通った。

 ただ、それさえも悩みの種だった。私が仕事に行くのは生活のため。日曜日にだけ義実家へ行くのは夫の両親のため。漢方薬局へ行くのは夫の健康のため。自分と夫を優先しているつもりの行動。

それでも。その間に夫が原因不明のまま動けなくなることがあった。私がどこかへ行くたびに夫を危険にさらした。一体どうすればいいのかと憤るばかりだった。

 

 翌週、義実家へ行ったときにはもうゴールデンウイークに入っていた。もちろんレジャーの予定など無い。

義実家へ行く際、迷いはあったが義母のためのパッドは買って行った。どうせ義両親のお昼を買って持って行くから、ついでなら構わない。

義母は私に配慮してくれたらしく、日曜日も看護師さんに義父の足の洗浄を頼んだとのことだった。訪問看護は日曜日は休みだと聞いていたのに、融通してくれたんだなあ。お金も余分にかかるけれど、考えずに受け入れることにした。

 義父の手当をする必要が無くなったかわりに、義父の部屋のエアコンのフィルターを掃除した。ずっと洗っていなくてものすごい埃。義父の部屋と台所の臭いがどんどんひどくなっていた。ペット用の消臭スプレーをまいても臭いが消えない。台所にいるのが苦痛なほど。

後から気づいたが、庭で粗相するだけが臭いの原因ではなかったようだ。義父がトイレから出た時に下着が濡れていたことがあった。衣類や布団にも臭いがついていたのかも知れない。

 

 その日も「夫が心配なので」と2時半ごろ義実家を出た。義母は寂しそうで私は胸が痛む。でもあえて最近「夫がまともに食事をとれないこと」「私の血圧が170を超えていること」などを話した。

義母も便秘で苦しいと言っていたので「来週、カンチョーを買ってきますね」と伝えた。以前のように「すぐ買ってきます」とは言わなかった。

その代わりお金は多めに置いてきた。ヘルパーさんに買い物を頼めるはず。(盗難のリスクのため、お金や通帳は我が家で預かり毎週使う分を届けていた)