いつか愛せる

DVのその後のことなど

自助グループ(その①)

 DVがきっかけで自助を知った。自助という言葉は、今は災害から自分の身を守ることを指す場合が多い。でも自助グループは同じ問題をかかえた人たちの集まりで、Self Help Groupともいう。専門家に助けてもらうのでなく、自分たちで助かるための場だ。すべてのグループが同じ状況というわけではないが、私の体験を書く。

 

 私が通ったグループはアルコール依存症者の家族の集まりでアラノン(Al -Anon)の中のひとつだった。その場にDV問題を抱える人は居なくて残念だったが、それでも一生役に立つことを学んた。

 数回行くだけでは自助の意味になかなか気付けない。実は最初の2回は夫の父と一緒に行った。DVのことは伝えていないが、夫のアルコール依存は認識してくれたからだ。初回、義父は夫の生い立ちを一生懸命に話した。かなり時間をとってしまったが、話せばアドバイスをもらえると思ったようだ。でもアドバイスは禁止項目で誰も意見しないし質問もしない。言いっぱなしで聞きっぱなしのミーティングを義父は2回でやめてしまった。私は「ここは夫のためでなく自分のために来るところだ」ということだけ理解した。

 3回目からは毎週ひとりで通った。はじめはその日のテーマに思いを馳せても何も浮かばず、自分には関係ないことに思えた。ひとつ掴めたのは何度目だったろう。ミーティング内で聞いたことは公に出来ないので、かなり曖昧に書く。私はメンバーのひとりが語った話を聞いて、ハッとなった。

「私もだ!」

私は自分を憐れんでいることに気がついた。世界一可哀想だと感じていると知り驚いた。彼女は私に関係なくテーマに沿って自分のことを話しただけだが、私は初めてそれを自分のこととして捉えられた。私には彼女の話し方がとても潔く感じられた。

 なぜ私は自分の思いにずっと気付かなかったのか。何年も感情にふたをしてきたから。それに世界一可哀想だなんて自分本位で恥ずかしいから。けれど批判されない安全な場所のおかげで、私も隠れた気持ちに気付くことができた。本を読むより人の言葉の方が心に入りやすい。これがアラノンの存在意義だと思った。

 またある日の私は、テーマに沿って考えるうちに自分の恨みや怒りを発見した。そして正直に話せた。自分が恨みや怒りを持っているとわかったこと、そんな感情をもつのが怖いと感じたこと。するとまた別の人が私の発見をうけて、自分も気がついたと語ってくれた。

 まだ私の心のふたが開く前だ。感情を取り戻すきっかけのひとつがミーティングだった。私は固く閉じたふたの内側を探り、長年見なかった感情の存在を認めつつあった。そんな風に話すことで自ら気付き、人の話を聞くことでまた気付く。家族にアルコール依存症者がいる人の集いだから、内容は重苦しいこともある。でもその場には落ち着きがあり時には笑いもあった。

 自助グループを否定する人もあるそうで、理由は「傷の舐め合いばかりだから」と聞く。確かにそういう面もある。特に初めて来た人には、まず苦しさを吐き出させてあげる方がいい。それに長期間同じメンバーでいれば、話もマンネリ化しやすくなる。

 では傷の舐め合いだけとはどういう状況か。愚痴を言うのは悪くは無いが、その場に愚痴とその同意しかない。誰も自分の発言から自分の内面に気付くことがない。誰も人の話を自分に照らし合わせて新しい発見をしない。何もかも環境や他者のせいで自分は変わるつもりがない。そんな状況だろう。

 そんな場所なら私は通わなかった。私は本を読んでも掴めなかったことを自助グループでいくつも学んだ。生きた言葉があるから理解できた。あるいは自分が発見したことを話した時に、誰かがそこから何か得てくれるのもうれしかった。傷の舐め合いになるかならないかは参加者次第だ。いかにしてここで何かを得ようと思うか思わないか。私は助かりたくて必死だったから掴めたのだと思う。自分たちで助かるから自助。自助には仲間が必要だと私の心に刻まれた。