いつか愛せる

DVのその後のことなど

例え落書きでも責任があるのでは?

 またしても、SNSの攻撃が最後の一撃になってしまったかと思われる事件がありました。亡くなった方のことが残念でなりません。

私がブログを書く以外に一切のSNSをやらないのは、面倒なだけでなく雑音が大きすぎて扱う自信がないからです。でも、20年くらい前には自分のサイトを持ち掲示板で自助グループ的な活動をしていました。まだMIXIすら始まる前で、余計な宣伝をしなければひっそりと活動できました。

◆攻撃されたくない 私はメンタルが軟弱だったので、かなり注意深かったです。もともと打たれ弱い上にDVからの回復中でしたから、絶対に攻撃をうけたくない。ネット上にはたたかれる危険が多いこともわかっていました。10年くらいサイト運営の間にわずか2回、直接的な批判らしきこと(当時の私には攻撃に感じた)がありました。

              

◆サイト開始直後の批判 一度目は開始直後「これからコンテンツも増やして色んな人に来てもらえるといいな」と思い、DVがテーマの別の掲示板にもお邪魔していました。するとそこを訪れていた人が私に言及したのです。

私は自サイトに自分の書籍のことを、タイトルと目次のみ書いていました。まだアマゾンにリンクする手段も知りませんでした。すると強い言葉で「本の内容をまったく書かないなんて。自分の本を買わせようとする狙いに違いない」と。怖いと感じました。

でも、自分のサイトで自分の本の宣伝をして何が悪かったんでしょ? 私が不慣れで作り掛けのサイトだったせいと、やっかみもあったのかなと今は思います。

◆利用者がふえてからの批判 2度目は数年経って常連さんも増えたころ。モラルハラスメントをテーマとするサイトの方が掲示板に来られました。コンテンツ内の文章への抗議でした。私は自分や友人がDVから回復した内容を書いていましたが「モラルハラスメントが直るかのように言うべきでない」と言われました。

その時は軽くパニック気味になり、私はモラルハラスメントが直ったなどとは書いていないと抗議を返しました。(でも誤解されにくいように文章を一部修正はしました)

 当時は私も先方も余裕がなくて惜しいことをしたと思います。私はモラハラを精神的暴力の一形態と考えますので、DV経験者とは共通項が多く話は合うはずなのです。

◆武装すると視野が狭まる でも批判されると身を守るために武装してしまうのですよね。ましてや当時メンタルに大きな傷を持つ者同士でした。私は論理で返すことに必死だったし、先方には私がモラハラ被害者や世間に「加害者が直る」と思わせてしまう危険人物に見えていたのでしょう。

今なら「相手が直る直らないに関係なく自分を癒す話を一緒にしたいです」と言えるでしょうが、当時は狼狽えてしまいました。多くの人は自分の立場を危うくする物に会うと身を固めるし、武装すると視野が狭くなります。本当は戦う必要のないことかも知れないのに。

◆無理解と誤解 Yahooなどのニュースについているコメントを読む時、「このコメントは元記事をきちんと理解していない」と感じることがあります。そんな時に書かれる言葉は攻撃になりやすいはずです。 ちゃんと読もうよ。🥺それから書こうよ。吐き捨てるようなコメントを書いても何の発見も無いし、何も身につかないよ。

 昔、掲示板のことを「便所の落書き」と言われ、私は「違うよ、Webで井戸端会議をするんだよ」と言って自助に活用しました。おかげで掲示板から宝のような言葉をたくさんもらいました。読む人がいる場所に書くということは、書く側にも少しばかり責任があると思うのです。

(久しぶりにいつもの自分っぽい記事を書けました。でもおかげで目・肩・腰がバリバリで辛いです・・・!)