いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母と私の関係

 私が介護においてとても恵まれていたのは、義両親との関係が良かったこと。嫌いな相手のお世話は困難が倍増すると思うので助かった。

特に義母との関係がたまたまうまくいった理由は何だったろう。

 義両親が元気なころ(DVの渦中だったけど)時々4人で一緒に外食した。そのとき話すのはおもに義父。自営業ゆえ場をもたせることに慣れていた。義母はいつも一歩控えていた。

 

 やがて買物して食材等を届けることから徐々に介護が始まり、当時はまだ義母とふたりになると会話に少し困った。 

そのとき助けになってくれたのが愛猫ノンちゃん。無言になったらノンちゃんに構えばいい。ノンちゃんが私を気に入ってくれた(正確には私が買ったオモチャを気に入った)のもラッキーだった。

名前を覚えたらしく「manaさんの名前を言ったら来ると思ったらしくて、ノンちゃんが玄関に探しに行くのよ」と楽しそうに言う。

 

 義母は台所に入られるのを嫌がるタイプ。私は結婚前も後もお客さん待遇で何もできず、楽だけど複雑だった。

でも一度入院してからあまり動けなくなり、ようやく「台所借りますね~」と入り込んだ。こうして距離を詰めるタイミングを図るって難しいなと思う。

 夫の体調の不安定が長く続き、私ひとりで行く機会が多かったのも結果として良かったと思う。息子(夫)なしで友人のように会話できるようになった。ちなみに私自身はおしゃべりな方ではないので、義母の話を聞くようにしていた。

 義母は疎開した昔話や、台所にあるお線香は第一子である水子のためであることなども話してくれた。一部、夫が聞いていた話(本当は自分の前後にも兄弟がいた)とは異なるなど、最後まで真実がわからない案件は複数ある。

 

 ある時期、夫が原因不明のまま本当に死ぬんじゃないかと思うほど具合が悪くなった。私はもう為すすべがなくなり義母に電話した。「一緒に祈ってください」と。一番強いのは母親の愛だろうから、その思いの強さを借りたかった。

そんなことをやっていたせいか義母が過呼吸を起こしてしまったこともあり、長く苦しいときを過ごした。とにかく夫は両親をちゃんと見送れたので、それだけでも親孝行に成功したのではないだろうか。

 

 義母が亡くなった後になって夫が言った。私と義母の関係がうまくいったのは「お互い踏み込み過ぎなかったからだろう」と。なるほどそうかも知れない。

もし同居だったらこうはいかない。ヘルパーさんのリーダーに「同居してあげないの?」と聞かれたこともあった。

でも夫の実家は4人で住むには狭いし、私たちに建て直すお金は無いし、駅から遠くて私が通勤でヘタリそうだし、夫も反対した。

 同居すればもっと出来たこともあったと思う一方、あの距離感で良かったと今も思う。