いつか愛せる

DVのその後のことなど

最後の年賀状とお歳暮

 ノンちゃんを見送った年の瀬が近づくと、例年通り義母は郵便局に年賀状の印刷を依頼した。商売をやめて減ったとはいえ、まだ数十通は出していた。

親戚が多いのか、それとも小さいながらも会社代表だったので「お世話になった」と思ってくださる人が多かったのかも知れない。

 

 週末いつものように私がポストから郵便物を出して見せると、義母の顔が青ざめた。義父の親しい友人の喪中はがきがあった。

「お父さん、ショック受けちゃうから見せられないわ···」

 その人も糖尿病であったらしい。もう少し元気なころはよく電話があり、病気を甘く見るような話題が多く、義母は少し困っていたのだが。

幸か不幸か、久しく電話がないことに義父は疑問を持たないらしい。あるいは何か感じても口にしないだけなのだろうか。

 とにかくそのまま内緒にすることにして、年賀状のリストから外した。そしてこの年の年賀状が、義父母から出す最後の年賀となる。

印刷した葉書に一筆入れて我が家にも送ってくれたが、義父の文字が弱々しくなったと感じた。元は個性的で力強い文字を書く人だった。

 

 私の記憶も曖昧だが、お歳暮も数か所には送っていたと思う。相手がくれるからやめるわけにいかないようだった。

毎年紅茶や珈琲の詰め合わせをくれる人がいたらしく、いつも義母が、珈琲より紅茶を好む私に「持って行って」と半分持たせてくれた。

 

 義母は美味しいものが大好きだったので、よくお取り寄せして我が家にもお裾分けしてくれた。私も自分の実家や友人からもらったお菓子を、義母に持って行った。

横流しするだけで喜んでもらえるありがたい関係。それが無くなったのも寂しい。

 

 義母が亡くなって自動的に私が受け継いだものより、義母が自ら私にくれたものになおさら愛着を感じる。

そしてそれらの物が段々減るのが、形見が消えるような気がして寂しい。腕時計は金属のベルト部分が壊れ、修理に出しても「古くて部品がない」と断られた。時計の機能には全く問題ないのに使えない。

 義母からもらった紅茶も、全部無くなるのが何だか寂しくて、最後の1パックを1年以上も飲めなかった。