いつか愛せる

DVのその後のことなど

「forgive」か「forget」か

 ゆるすことの実体験を書き始める前に、また寄り道している。ブログを始めて、すでにふたりのブロガーさんから「ゆるせないから忘れる」という言葉をお聞きした。

なるほど。忘れられればOKだと思う。「忘れる」のはゆるすことの重要な要素のひとつじゃなかったかな? と記憶をたどる。昔は関連書籍をたくさん読んだのに、あまり記憶に留まっていない。

確か「ゆるす」は英語で「forgive」。そして「忘れる」は「forget」だった。英語が全然だめなので😅「give」と「get」はどう違うっけ?と検索する。

「give」は「すでに持っている物を人にあげる」

「get」は「新たに入手する物を人にあげる」。買うなどして一度入手してからあげる場合らしい。

            

 ゆるす方で「give」を使うのはニュアンスとして理解できる。恩赦のようイメージ。昔は「ゆるす」のは、身分の上の者から下の者に対してのみ向かうものだった。(←聖書を研究しているような人の本で読んだ知識だから、一般的かどうかは不明)

では一度入手して人に渡す「get」を使う「forget」は、記憶を「手から放す=忘れる」感じかな。

検索すると「Forgive and forget.」という英語のことわざが一緒に出る。意味は「ゆるして忘れよ」で、日本語だと「水に流す」に近いらしい。直接的でない日本らしい表現だわ。

「あなたをゆるしてその件は忘れる」と言われたら、いかにも上から目線に聞こえそう。でも「その件は水に流す」なら、仮にそのセリフを誰かに聞かれても意味がわからなくて安心。主語や目的語を曖昧にできる日本語は便利だな。

 

 ところで、私の脳内ツッコミ癖がまた発動する。ゆるす場合もゆるせない場合も、その対象は何? 相手の存在そのものなのか。それとも相手が自分を傷つけた言動のみを指すのか。(=人か罪か)下記記事でも同じことをグルグル考えていた。

 そして「忘れる」場合も。忘れる対象は相手の存在なのかな、それとも相手が自分を傷つけた事のみを忘れるのかな。

もし後者なら、それを忘れるのはもう「ゆるす」と同意語だと思う。神様がいざ人間を赦す際には、まったくその罪を無かったかのように忘れてもらえるという。人間は自分で自分の記憶を消せないからそれは難しい。でも神様の赦しに近いのが後者。

もし前者なら、心のうちで相手の存在を否定するのと同意。相手には何のダメージも与えないけれど、何となく脳内でする復讐のような印象。(私は名前も知らない大勢の痴漢に対してこれに近い選択をした)

 いずれにしろ、自分を本当に楽にする方を選べばいいと思う。その昔は、身分の上の者が下の者(従者?僕?)に貸してやった借金をチャラにすることを「ゆるす」と言ったらしい。(聖書には罪を借金に例える話が出てくる。人類全体の借金を支払ったのが、クリスマスという言葉のもとになっているイエス·キリスト=JESUS CHRIST)

相手に借金を払う気や能力が無いなら、チャラにしてあげてもいいし、その従者を解雇してもいいはず。選択権は貸した側にあるから。