いつか愛せる

DVのその後のことなど

偏見がひとつ減った経験

 20年以上前、DV経験をふり返ってひたらす綴っていたころのこと(その原稿が自分の本の元になった)。私は休日ごとに女性センター付属の図書室へ行き、あるいはド⚪︎ールコーヒーにノートを持ち込んで書いていた。そんな時のこと。

            

 ド⚪︎ールのカウンター前で数人がレジ待ちをしていた。すると2番目に立っていた女性の様子が、ちょっと変だと気づいた。妙に緊張しているのがわかる

微かに手足がふるえている。1番目の人との間にスペースを空けるのは、コロナ禍を体験した今なら当然だけど、当時は違和感あり。

それで後ろに並んでいた人が彼女に少し接触したのだろうか? 女性は弾けるようにビクッとして怒ったような表情で振り返った。その女性の順番が来てオーダーする際も、すぐには言葉が出にくい様子で、店員さんと少し距離をとったままだった。

 私にDVの経験がなければ、単純にその女性を「変な人だわ」と思って近寄らないようにしたと思う。脳に障害があるのかと考えたかも知れない。どう接して良いかわからない人とは距離をとるしかない。

でもその時は、自分も日常で困ったことを経験済みだった。図書室に座っている時、男性が私のすぐ横に立ってじっとしていた。後ろに貼ってあるポスターを見ているだけだとわかる。でも私は怖くて固まってしまい「早くあっちへ行って」と無言で唱え続けた。(もうとっくにそういうのも大丈夫)

 だからその女性にも、何か理由があるのだろうと思えた。もしかしたら男性が怖いのか。店員さんは男性だった。あるいは対人恐怖症かも知れない。他にも私が知らないどんな問題を抱えているのかわからない、ということは理解できた。

ごく普通の女性が、私と似たような理由で「変な人」に見えてしまうことがある。それを知っただけで、世の中がちょっと違って見えることに気づいた。

その女性に対しても「怖い」「近づきたくない」というよりは「大変そうだな」「何に困っているのかな」と思えた。

 とはいえ助けにはなれず。困っている理由がわからない限り、😰私が声をかけたらさらに迷惑かも知れない。ただ自分の中の偏見がひとつ減ったことは、経験値として意味があると思った。しない方がいい経験にもたくさんの意義はある。

 

 今でもたま~に書き物をしたくて、ノートを持ってド⚪︎ールコーヒーに行く。でも家でパソコンで書く機会の方がふえた。飲み物代も節約できるし。

            

写真はオレンジとキウィのドライフルーツ。鎌倉旅行で唯一自分に買ったおみやげ。果物もドライフルーツ🍊も大好き。オレンジは皮の渋みが良い。キウィは酸味が強くて味が濃い。贅沢なお茶の友を片手にブログを書く幸せ。