いつか愛せる

DVのその後のことなど

緊急事態の継続は脳の勘違いを引き起こす

 昨日の記事の中で、「長いこと脳が緊急事態を継続していると、それが平常モードだと脳が勘違いを起こす」と書いた。私は治療は受けていないので、単なる私見。実は脳の勘違いという言葉は、夫の通院先で聞いた。今日はその話。

 日本中が忘れられない3.11の後のこと。夫は元々地震が嫌いでさらに神経質になった。すぐ逃げられるよう携帯電話などをポシェットに入れて首にかけ、靴を足元に置いて休むようになる。私は夫のポシェットを「幼稚園バック」とからかい、もう少し気を楽にしてもらえないかと悩んでいた。

それが長引くと、夫の体に不調が出始めた。指先がしびれる症状が最初だったかな。あとは次から次へと不具合が出て、とても書ききれない。真っ先にリューマチを疑われたけれど、何度検査しても違うと出るらしい。形成外科に神経内科に耳鼻科に脳外科に・・・どこへ行っても明確な原因は不明。

それから大怪我もしたし、しょっちゅう倒れるし、ものもらいから角膜炎にもなり、目やにもひどいし歩けないし、亡くなる寸前の老犬のような姿だった。

(当然メンタルもやられる。5年前が恐らく不具合のピークで、その時期の記録がグチャグチャ。介護の話の続きを書きにくいのはそのため)

 長すぎる話を端折る。夫が行った何軒目かのメンタルクリニックで言われた言葉が「脳の勘違い」

震災から何年か経ったころ、ポシェットはもう着けていなかった。でも長いこと「携帯電話を体で押し潰さないように」神経を使って休む習慣を、脳が忘れてくれない。邪魔なものは何も無いのに、寝返りをまったく打たない。(寝たきりのお年寄りに床ずれが出来るくらいなので、寝返りを打てないのはかなり身体に悪い)それで鬱血して痛みが出るのではないか。そんな説明をされた。

 不具合の全てをそれで説明できはしないけれど、夫は納得した。ひとりでは歩けない夫に同行した私も、やっと希望を持てた。それから少しずつ良くなり、今年は近場の旅行にも行けた。

 

 その経験のおかげで、自分の過去の心の状態を「同じようなものだ」と考えるようになった。緊急事態が長く続き過ぎると、それが通常モードだと脳が勘違いする。そういえば、アルコール依存症も似たしくみらしい。

過度な飲酒が続く→アルコールが身体に存在することが常態となる→順応するため脳の神経細胞が変化する→アルコールを供給してほしいという信号を身体に送る→離脱症状を起こす

 脳の勘違いって怖い・・・でも元々は、きっと可能な限り命を長らえるために備わった機能のはず。だからその時が過ぎたら、早く通常モードに戻してあげたい。