いつか愛せる

DVのその後のことなど

この時期に思う彼女

 いつの間にか12月も半ばで年賀状どうしよう。親戚等から「新年のご挨拶は本年で終了させていただきます」といただくことがある。いつか私もそうするんだなあと思う。何十年も会っていない、今後も会う機会の無さそうな知人に出すことを迷うこともある。

              

◆気になっている人

 もう25年くらい前、私が派遣で働いた会社の社員だった女性。彼女は私が派遣で働き始めた数年後に、新卒で入ってきた。立場は違うけれど、私が先にいたから仕事を教えることも多かった。

1年くらい経ったころ、私は「そろそろ立場を逆にしなきゃね。今度は⚪︎⚪︎さんが指示してね」と言った。(年上で先輩の派遣社員なんて、若い女性にはすごく扱いにくいよね)。彼女は戸惑いながらも「わかりました」と言い、自信をつけてしっかり一人前になってくれたと感じていた。

 そんな時期に。彼女が仕事帰りに通っていたエアロビのスタジオで、突然倒れたと聞く。それから半年以上意識が戻らなかった。やっと意識が回復して、上司の数人がお見舞いに行った。そして青い顔をして帰ってきた。

あんなに元気でキラキラしていた彼女は、もう動けないし話せないと聞いた。何が何だかわからない。私は彼女がまた会社に来る夢を見たし、そのことをご家族あての手紙に書いた。

 

◆出し続ける年賀状

 それからずっと、私はその会社をやめた後も彼女に年賀状だけは出してきた。もちろん本人は返事を書けない。いつもご家族が本人のかわりに返事をくださる。昨年の賀状には「月に2回、運動訓練と言語訓練をしています」と書かれていた。気管切開した人の訓練とはどれほど難しいのだろう。

 毎年思う。年賀状を出し続けていいのだろうか。おそらく私の年賀状が届いたのを見てご家族が出してくださっている。私の自己満足でご家族の負担をふやしているだけではないのか。そもそも彼女は私を覚えているのだろうか。

何十年もたって、訪れる古い友人も少ないだろうと思う。でも動けないからといって、孤独とは限らない。訓練の場で、スタッフや他の患者さんとの出会いもあるのかも知れない。

 それでも。彼女が私を少しでも覚えていてくれるなら、ご家族が葉書を読んであげてくれるなら。届いていた年賀状が届かなくなったら、寂しいと感じるのではないか。あるいは心配をかけてしまうかも知れない。

不義理なことに、普段は彼女のことを忘れている。でもこうして年賀状を書く季節になると、また彼女に思いをはせる。

どうか彼女の人生にたくさんの喜びがありますように。ご家族が健やかで助け手に恵まれますように。