いつか愛せる

DVのその後のことなど

丁寧に書くことで何かを得る

 SNSをやらない私も、はてなブログでは嫌な体験もなくほぼ安心して読み書きしています。誰でも参加できるそういう場所は多くはない気がします。

 

◆書いて得られること 読んでもらう目的ですが、まず書くだけで自分にメリットがあるのですよね。文章にする過程で新たな発見が盛りだくさん。「自分はこういう価値観なのか」とか「あの時あの人が言ったのはこういう意味だったのか」とか。書きながら世の中の動向の一端をつかんだり、書くついでに調べ物して新たな知見をつけたり。自分自身や周囲に向き合っていると言えるかも知れません。丁寧に書けば文章も上達すると期待しています。

◆交流から得ること 他者から送られる文章はいただき物になりますね。応援なら力を得ますし、好意的な内容でない場合も相手の思いや知識を共有してくれたならプレゼントです。意見を戦わせるうちに相手の考えがわかってきて仲良くなるかも知れない。互いに視野が広がるかも知れない。

かつて私が自分の掲示板で送られた言葉の数々は、今でも宝物です。(だから交流大好きですが遅筆ゆえ、記事を書く時間確保のため滅多にコメントは書きません)

(ガマズミの花言葉は「私を無視しないで」「結合」など)

           

◆何も得られない文章 人を死に追いやる文を私は実際には目にしていませんが、何も得られない文章はよく見かけます(はてなではありません)

それはとても雑に書かれたように見えます。ほとんど頭も心も使っていない。内容ばかりか形も日本語として成立しなかったり。たった1行「⚪︎⚪︎って△△ですか?」だけでは本当は意味が通じませんが。空気も行間も読む日本人は脳内で主語や目的語などを補ってくれたりします。その際に誤解が生じることもあります。文章を戦わせて理解し合うならいいけれど、そのまま捨て置かれるところもよく見ます。少々のストレス発散か暇つぶしでいいのかな。それでは書いても得られるものはありません。

◆なぜ雑な文章になる? ネットだから、誰かわからないから雑に書くのかなと考えました。書き手が誰かわからなくても、言葉が持つ力は有効に働くのに。

最近の若者は「失敗を恐れる」としばしば聞きます。傷つくことも強く恐れるので恋愛したくないという人もあるとか。もしかして、望ましい反応がない場合に備えた言い訳なのでしょうか。初めから「これ、自分にはどうでもいいことだから」と捨て台詞にも見える書き方をする、傷つき回避の戦略でしょうか。だとしたら、傷つき回避はコミュニケーション回避ですね。

◆回避するのはもったいない 始めからリスクだけ考えてメリットを捨てることがもったいなくて仕方ないです。

ちゃんと書こうよ。読み手のことを想像しようよ。その方が良い反応がくる確率が上がるよ。反論にも丁寧に答えれば何か通じるかも知れないよ。受け取ってくれないとしても、それで損をするのは受け取り損ねた相手。送った側はきちんと書くだけで得るものがあるから送り損は無し。それに、どんなに回避しようとしてもまったく傷つかないで生きるのはどうせ不可能だよ。若いうちに耐性をつけた方が後で助かると思うんだけどな。(私は耐性も無かったから結婚後に大変でした!)

◆本当のところどうなの? 夫は喧嘩してから親友になることを好む元昭和男子ですが、私は今も争いが苦手です。本当は優しいやり取りだけで生きていたいです。でもぶつかった後にわかりあった関係にも憧れます。経験上、弱さや未熟さも露呈してからが本物の人間関係になる気がしています。

 ここを読んでくださる方はほとんどが大人でしょうから「わかってるよ~」と思われるかも知れませんね。若い人も読んでくれるといいな。それで私の考えが的外れだったら「こうだからです」って教えてくれるとうれしいです。