いつか愛せる

DVのその後のことなど

書いて自分を客観視する

 ある記事を見て思い出しました。20年くらい前にDVからの回復を図っていたころ「マインドフルネス」という言葉は聞いたことがあります。当時は自分を立て直すためにメンタル系の本をたくさん読みました。お金をかけずに出来ることは何でも試したので、もう記憶にはありませんがこれもやったと思います。下記ページから少し抜粋します。

「こころが疲れない人」になれる2つの「書く」習慣。不安も悩みもすべて言語化すればメンタルが整う。

https://studyhacker.net/masao-yoshida-interview02

  • 不安や悩みは、目を背けているからなくならない。言語化することで客観視でき、感情を的確にとらえコントロールできるようになる。
  • EQ(Emotional Intelligence Quotient)は「心の知能指数」「感情能力」と呼ばれる。ボキャブラリーがないと「これはこういう感情だ」ときちんと認識できない。
  • 感情と一体化するのでなく「これは怒りのなかでも反感だ」と冷静に自分を観察できると、感情に飲み込まれにくくなる

(ペチュニアの花言葉は「心のやすらぎ」「あなたと一緒なら心がやわらぐ」)

         

 

◆私も書いた 誰に教わったわけでもありませんが、かつて私もDVで自分に起きた事とその件に関する思いをたくさん書きました。書きまくるうちに、なぜか「この内容を本にしたい!」と突飛なことを思いつきました。それが2002年に出版した「いつか愛せる」の元です。私の人生のターニングポイントのひとつでした。

◆書きながら変化する はじめはひとつ思い出すごとに関連記憶がドドドっとあふれ、何を書くか選べないほどでした。時間さえあれば百科事典の分量だって書けたでしょう。1年くらい書きながらじっくり自費出版の会社を選び、編集者さんとやり取りするうち少しずつ冷静になれました。

入稿期日も近づいたころ、これでは駄目だと気付いたのです。私に恨みつらみ憎しみがあったのは事実で仕方ありません。でもその感情にまっすぐ目を向けるのでなく、中途半端に怒りが滲んだ嫌らしい表現が多くありました。書かれた夫も読み手も不愉快になるはずです。

◆本にする意義 だから大幅に削って直しました。当時は手書きだったので、入稿を数日伸ばす代わりに「自分で入力して送ります」と宣言しました。あのころの感覚を今は少し説明できます。私は、自分がいかにひどい目にあったかをドラマチックに訴えたかったのですね。文章下手な素人のくせに。あのまま出さなくて本当によかったです。

私は被害内容を書くことには価値を感じません。DVを教えてくれる本ならすでにありました。私が本を出す意義があるとすれば、当事者が自分の言葉で書いたことと、離婚せずにやり直したことかなと思いながら直しました。

◆自分の感情を分析する 私はアラノン(アルコール依存症者の家族の自助グループ)でも自分の感情を発見しましたが、それを書くことでさらに分析できました。自己憐憫におちいっていることを自覚したり。夫をゆるそうとしているつもりが本当はゆるしたくないと認識したり。そうして自分の心がひどく汚れてしまったと知り、さらにショックを受けました。一度そこまで行かないと立ち直れないと知るには、かなり時間がかかりました。

◆ついでに夫の分析 夫は基本的にはポジティブですが、ネガティブな感情は全部「怒り」に転化する癖がありました。悲しみや不安や憤りなどをそのまま抱えるのが苦手なようです。だから怒りっぽかったのですね。DV傾向の男性に多い癖かも知れません。本当の感情がわからないと、周囲もうまく対応できなくて困ります。私も自分の癖を発見しなくてはと思いました。

 私がやったことがマインドフルネスと言えるかどうかはわかりません。でも上記の記事に書かれているような効果は確かにありました。