いつか愛せる

DVのその後のことなど

鼻の手術を決めてきた

 休みをとって総合病院の耳鼻科へ行ってきた。(ネタに一貫性がなくてすみません!介護の続きはまた今度)

まず問診で鼻の中を見る。重症な人は粘膜の腫れなどで鼻が塞がって口呼吸しか出来ない。でも私の鼻は塞がっているわけではなく「手術してもあまり変化を感じられないかも」と言われあせる。箱ティッシュ抱えた生活はもうやめたい。

そして「CTを撮ってからまた相談しましょう」と検査にまわる。鼻のレントゲンは経験があるけれどCTは初めて。

 結果、私の下鼻はほぼ通っていて黒く写るけれど、中鼻や上鼻と呼ばれるあたりが白い影で埋まっている。なるほど、だから鼻の奥の方がいつも詰まっているような気がする。鼻をかんでも何も出なかったりするわけだ。

             

これは細菌などが原因ではなく、体質からくる可能性が高いとのこと。とにかく過去に散々耳鼻科に通っても改善しなかったと伝え、手術をお願いした。

 難治性と言われる好酸球副鼻腔炎かどうかは、手術の際に生体検査するらしい。難治性であろうがなかろうが、私は治るっ! 自分に少しでも根性や思い込みや信仰が存在するなら総動員する。

 

 ところでこの病院の耳鼻科は人気がある。何と手術の実施は6月になった・・・・・今年の花粉には間に合わない😂 しかも念のため「手術できる体質かどうか」の検査を来月やるとのこと。私が喘息持ちのせいだ。でもその日はテレワークなので仕事は中抜けで済む。これも絶対にパスする。

 そして手術がなかなかのフルコース。

内視鏡下副鼻腔手術/下鼻甲介粘膜切除術/鼻中隔矯正術/後鼻神経切断術

4種類も一度に行う。とにかく腫れている部分を切除して、曲がっている骨を削って(9割の人が少しは曲がっているらしい)、そしてアレルギーからくる鼻の症状をもたらす神経を切る。

手術の最後のひとつは病院側にとってはほとんどおまけらしい。でも花粉症の私にとってはその切断が重要。箱ティッシュ生活は今年が最後になる!

 術後しばらくはすご~く大変らしいけれど。耐えるさ、治るためだもん。これできっと喘息にも良い影響が出て、睡眠も改善して、結果として血圧も下がるに違いない。

義母は退院できるのか

 義父の介護ベッドを入れた翌土曜日からの話。私自身の体調も良くはないけれど、義実家へは行った。

(前回の話はこちら)義父の介護ベッド納入↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2023/02/20/232140

 

 義父はぐっすり眠っていたので起こさず。このころからベッドで寝ている時間が妙に増えた。

薬を1週間分のお薬カレンダーにセットしようとしたが見つからない。ヘルパーさんやケアマネさんに確認の電話をする。次の月曜日に訪問の医師が来て処方してくれるとわかり一安心。

半端に手を引くと、こうして関わろうとしたときに確認事項がふえてしまう。全部やるか全部手を引くかする方がいいのはわかるが、どちらも出来なかった。

 電話の返事を待つ間に2階の片付けに着手。2時間かかってゴミ袋が6個分。それでもわずかに足の踏み場ができただけ。大事なものをゴミに入れていないかも不安になる。

若いころの夫の文字を見つけて捨てるのをためらう。それは義母の思い出をかわりに捨てていく作業で、少しつらい。まだもう少し待とうかと逡巡した(義母がメモしていた料理のレシピノートを1冊だけは保存した。今も我が家にある)

 義父は目を覚さないので手を置いて回復を祈り、夕方に帰宅した。毎日2時間程度はヘルパーさんが入ってくれる。私は翌日は義母のお見舞いに行くことにした。

 

 翌日曜日、入院以来2週間ぶりで義母に会う。初めは横になったままで、義父の話は聞かれてからにしようと思って話さず。やがて看護師さんを呼んで車椅子に座らせてもらった。

チョコとお煎餅のおやつを持って行ったが、わずかにしか食べられない。コルセットはつけていると苦しいからと外していた。まだ退院などできそうにない。

 義父のことを聞かれたので経緯を話すと「困ったわねぇ」と考え込んでいたが、やがて自分が退院せねばと思ったらしい。目に力が出てきた。私は義母のそんなところが好きだ。

「夫と電話で話しますか?」と誘い、車椅子を押してラウンジへ行き、電話をかけ話してもらった。当時の夫は原因不明でしばしば動けなくなる状態の他に、背中の痒みで眠れずにいた。

その話を聞くと、義母は「自分が痒みでよく効いた薬を持って行って」と渡してくれた。病院で出された薬の使い回しはまずいが、調べてみると白色ワセリンだったので大丈夫だろう。義母の母心が通じるといいなと思った

              

 義母は私の体力も気遣って帰りを促してくれた。(いつになるかわからないのに)退院時の介護タクシー代を気にしているので、6千円置いてきた。金庫が無くて心配だけれど本人が大丈夫だと言う。義母に気力が戻ってよかった。どうなるかわからないけれど、薄日が指すような気持ちになった。

ノンちゃんの誕生日

 昨日、2月22日は猫の日。そして偶然ではあるけれど、今は亡き義実家の愛猫ノンちゃんの誕生日だった。カメラを嫌ったのであまり可愛い写真が残っていない。

 折れ耳スコティッシュフォールドで耳が極端に小さく、時にはミミズクのようで、時にはカワウソのようだった。

そしてサビ色の顔は横長の丸いぼた餅のようで、手足は黒糖かりんとうのようだった美味しそうなノンちゃん。 

運動神経抜群で、180度ひねりを加えたハイジャンプも出来たノンちゃん。立ち上がって横っ飛びも出来たノンちゃん。私が義実家に行くと、玄関で出迎えてくれたノンちゃん

 

ガン飛ばしノンちゃん

 

顔だけノンちゃん

今は天国で義両親と仲良く暮らしているに違いない。

企業があこぎに思えてしかたない

 昨日、N○Kから何やら封書が届いていた。我が家はテレビが無いので無関係だけれど、夫の実家を手放す際のことを思い出したので書く。

義両親とも病院や施設に移って家には誰も居なくなり、土地の売却も済んだころだったと思う。私は電気・ガス・水道を止める手続きをした。当然、N○Kも止める連絡をしようとした。が、やめた。ネットで色々な噂を読んでいたから。

 一度契約したものを解約するのは非常に困難らしい。

住人がいなくてもテレビがあるなら解約できないとか、

テレビを譲ったなら移動させた先で払わなくてはいけないとか、

テレビを捨てたなら廃棄した記録を出せとか・・・・・

そんな暇っ、あるかああああぁぁぁぁ!!!!

当時の私は忙しすぎてちょっとテンションが高かった。

            

 そもそも、すでに誰も見ていないテレビのために数ヶ月料金を払い続けている。あとは放置することにした。義父名義の口座振替用の通帳は、もう少しで残高が無くなるところだった。

残高不足で引き落とせなかったら、まずは郵送で督促が来るだろう。その際に「宛どころに尋ねあたりません」となってN○Kに戻るはず。そうしたら、流石に解約されるかな。それとも集金人が実際に来たのかな? そのころにはもう更地になっていたろうけど。

            

 さらに義父が亡くなった後、携帯電話の解約でも悩んだ。まず電話会社の解約の仕方は検索しても出てこない。ホームページのトップから探って探って探しまくって、ようやく解約についての記述を見つけた。

 でも運の悪いことに、その時はコロナ禍に入っていた。店舗は営業時間短縮かつ完全予約制。予約はとれないというより電話も繋がらなかった。ネットで出来る手続きも調べたが、解約は出来ない。

もう~~~~~~~~~~~~~知らない!!! っと思った。

 真っ当に手続きしようとする人間に、なぜここまで余計な労力をかけさせる。解約は諦めさせるつもりとしか思えない。そりゃ解約は急がないよ。でもその間も料金とるでしょ。

だから手続きはもうやめた。すでに何ヶ月も使用のない機体の電話料金を払っていたし、後は残高不足になるだけだ。

 テレビも電話も未払い扱いになって、義父の名前が何らかのリストに残るのは不本意だけれど。解約させない方が悪い。一度でも連絡をとったら、請求が我が家に来てしまう可能性だってある。だからもう放置を決めた。

義父の介護ベッド納入

 義父が退院した2日後に介護ベッドの納品。でも急だったので、実はベッドを置くスペースが無い。ものが非常に多い家だった。

 私が手を引き気味にしていたためだろうか。何とケアマネさんとヘルパーさんが協力して、急遽数々の家具類を動かし場所をつくってくださった。5~6人で一気に作業したらしい。

戸棚と大きく重いテーブルを移動させ、雑多な物は「すみません、取り敢えず2階に持って行きました」とのこと。2階は足の踏み場も無くなったが、どうせもう誰も使っていない。

 

 ベッドが届くのは夜の7時半。多分、私が義実家へ行ける時間に設定してくれたのだと思う。仕事の後あわてて義実家へ行き、ちょうど業者さんと鉢合わせ。

 義父はトイレの後だったのだろうか。下半身がトレパンのみでボ~ッと座っていた。ズボンを履いてもらおうと手伝ったが、まったくお尻が上がらない。ズボンに足を通したところまでで、そのまま座っている。

気になるけれど、私は業者さんにベッドの使い方を聞き契約書類に記入しなくてはならない。義父がリモコンの使い方を覚えてくれるかも心配だった。

 業者さんが帰ったので、ベッドにシーツを敷き義父に寝てもらおうとした。すると、まったく動けないことがわかった。

私が必死に支えてもベッドまで数歩も歩けず、半端な形でベッドに突っ伏する形になってしまった! あせった。一体なぜ急にここまで動けなくなったのか。右足の小指と薬指の切断だけで動けなくなったという感じではない。全身に力が入らない様子。業者さんは帰ってしまったし夫は動けないし、他に助けはない。切なかった。

              

 義母がいつ退院できるかもわからず、義父の気力が萎えていたのかも知れない。元は大柄で力強い人だったのに。

それでも義父は努力してくれた。何とか少しずつ体を持ち上げ、私は「痛くないですか?」と確認しながら体勢を整えた。義父は疲れたのかすぐ目を閉じた。

「お母さんが帰ってきたら助けてもらわなきゃいけないから、歩けるようになってくださいね」と声をかけた。そうなれるのかわからなくても言うしかなかった。

 義父は「家の中を歩いて頑張るよ」と言ってくれた。さらに「迷惑かけて悪かったね。気をつけて帰ってよ」と言われた。

私は義父に手をあてて祈った。歩けるようになるようにと。すると聞こえたのか「ありがとう」と言ってくれた。

もうすぐ義父を失うことになるのかと寂しくなった。私の感覚は天に召されるとかいうものではなく「失う」という感じだった。(でも実際には義父はまだ2年ほどいてくれた)

義両親の退院の計画

 義父が足の指の切断手術から1週間後に退院が決まる。まずは退院当日のヘルパーさんのスケジュール調整とお金の管理。

 義父がひとりで家にいる心配はいろいろあったが、私が入院前から特に気になっていたのはふたつ。ひとつは朝の薬を飲み忘れることで、誰かに声をかけてほしくても朝から入れるヘルパーさんが足りない。

 もうひとつは義父がもう自分でふとんを敷く力が無くなってきていたこと。ベットは嫌がっていたけれど、もう施設に入るか介護ベッドにするしかない。

このころには介護保険のポイントを使い切っていて、いかに安いベッドを探し他の何を省くか、ケアマネさんも苦心されていた。(もちろん実費ならいくらでも支援をうけられる)

            

 義実家から手を離すと決め、義両親の通院や退院にはヘルパーさんが同行してくれる。でも何かひとつ動いてもらうために、ヘルパーさんのスケジュールを決め病院や介護タクシーへお金をいつどうやって払うかを管理しなくてはならない。私は仕事を休まなくて済む代わりに、その労力とストレスを負う

本当はそれすら手を離すべきだったのかな。でもそうすると、他の人たちが自分の業務範囲外までやる羽目になる。例えばケアマネージャーが直接病院とかけあって退院スケジュールを決めるとしたら。多分、ルール違反だ。

夫は「病院なんかに電話するとまたお前に連絡がくるからしなくていい」とも言ったが、どうしても完全には離しきれなかった。

 私はこの間にも夫の体調をよくするためにあれこれ動き、あるいは義実家の売却相談のために不動産屋へ行ったり、老人ホームの資料を多数取り寄せたりしていた。いつも寝不足で疲れていたと思う。

 

 義父の退院日、同行してくれたヘルパーさんが報告の電話をくれた。義父は歩きにくくてつかまり歩きしか出来なくなっていた。指の切断の影響もあるかも知れない。ふとんは夕方から入るヘルパーさんが敷いてくれるとのことで、オムツも替えてくれる。次回通院日のスケジュールも聞く。

このヘルパーさんはベテランでリーダー格の人。やはり経験豊富でないと病院の付き添いは難しいのかも知れない。何があるかわからないから。

 その後ケアマネから電話あり。通院の件を聞かれ、またヘルパーさんの同行を依頼。ベットを入れる件は、次の日曜日に私が行って義父に了承をとる予定。

 

 ヘルパーのリーダーさんは義母に会った様子を教えてくれた。まったく動けない様子だったとのこと。声をかけても、よく知っているヘルパーさんだとなかなか気づけなかったという。コルセットをつけた時に動けるようになるかどうか。

このヘルパーさんは「その病院に行くついでがあったから」と言ってはいたが、義母に会ってくれたのはまったくの善意だと思う。ありがたくて頭がさがる。

鼻を治す計画の続き

 副鼻腔炎その他の根治を目指して手術を決意。↓

manaasami.hatenablog.com

 夫が20歳のころに鼻中隔湾曲症の手術した総合病院に行くには、紹介状が必要。喘息でお世話になっている呼吸器科医に頼んで書いてもらった。これで手術を受けられる可能性がかなり高まった。以前のように「手術するほどではない」なんて言われるのは困る。

 紹介状を書いてもらう際にいろいろ情報をゲットした。今はコロナが治りつつあって他の病気の来院者が増えて混んでいるだろうとか。岸田総理の影響で鼻の手術が増えたとか。全身麻酔で結構大変な手術だとか・・・・

その辺は仕方ないのでいい。ただ私の場合「好酸球副鼻腔炎」の可能性が高く、治りにくいと言われたのはショック。以前の血液検査で好酸球数が多かったのが理由だと思う(そこまで説明されていないけど)

好酸球副鼻腔炎」って何だろうと検索すると、難病に指定されているではないの。手術しても再発すると。それは困る。私はその病気を意地でも拒否!!

この病気の症状には私に無いものも多い。私は匂いはわかる。耳は詰まっていない。これまでにポリープ(鼻茸)があると言われたこともない。

ただ合併症でよくある喘息もち・・・・・・・・でも負けるものか。治ってやる

 

 職場には「来週通院の結果によっては手術します」と相談し了承をもらった。こちらは手術してもらう気満々だけど、一応病院の指示であるかのように言っておく。

すぐには予約がとれなくて24日の金曜日に行くことになった。連休になってしまい何となく申し訳ない。

 それにしても花粉症が辛い。すでに箱ティッシュの消耗が凄まじい。頭はぼ~っとするし屑かごがすぐ山盛りになる。体の水分全部鼻から出てしまうのじゃあるまいか。

副鼻腔の手術と同時に後鼻神経切断術をすれば、くしゃみと鼻水の症状を無くせるという。アレルギーが治るわけではないけれど、症状を止められる。もう今はそのために早く何とかしたい。

               

治ったら気候のいい時期にサイクリングしてみたいなあ。