いつか愛せる

DVのその後のことなど

仕事と介護の両立支援に関するガイドライン

 昨日ビジネスケアラーの話題を書きましたが、会社でも偶然この情報に突き当りました。経済産業省のサイトです。

「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」

https://www.meti.go.jp/press/2023/03/20240326003/20240326003.html

経産省からガイドラインが出たということは、国もこの問題を考えているわけですね。企業に働きかけているようです。青文字は参考資料集からピックアップしましたが、私の個人的感情に引っかかった点だけですので、膨大な資料は是非ご自身でお読みになってください。

             

〇 都道府県別でみた場合のビジネスケアラーとなることによる労働生産性損失は、東京都が1兆円と突出して多く、以降は大阪、神奈川、愛知と続く

◆労働生産性損失 大都市ほど損失が多いのは住民が多いためでしょうか。そんな複雑そうな数字をどうカウントするのか見当もつきません。算出方法がちょっと気になりました。(政府の出すどんな試算にも民意を誘導するカラクリがあるのを新型コロナやマイナ保険証騒ぎで知ってしまい)。あまり信頼はできませんが、巨額であるのは間違いないと思います。

◆時代の流れ「団塊世代」 団塊の世代が介護される側に回り始めています。私にとっては常に上司や指導者の立場だった人たちです。彼らが勤勉で、日本を先進国に押し上げてくれたことへの感謝は忘れるまいと思います。

 義父が最晩年を過ごしていたころ、施設長さんが言っていました。「これから団塊の世代がどんどん入所されるので、人手不足で病院へのつきそいは出来なくなると思います」と。つまり「今後は通院には家族が付き添ってください」という意味でした。場所によって規約は様々でしょうが、その施設は月に2回までは職員が通院に付き添ってくれることになっていました。

◆時代の流れ「女性の立場」 長いこと介護は(子育てもかな?)女性の仕事だと思われてきました。今も頭の古い人は多いし名残はあるとは思いますが、国が社会の問題だと認めたことは進歩だと思います。考えてみれば、誰か(特に女性)に負担を強いて存在しないことにされていた問題が、社会にはたくさんありそうですね。

 

〇 現在介護を行っている理由としては、「家族の介護は家族が行うのが当然だから」が最も多い。加えて「介護保険サービスの使い方がわからないから」を挙げている人も企業規模問わず1割程度存在する

◆介護の定義は? ちょっと混乱しました。介護を行う理由が「介護保険サービスの使い方がわからないから」ということは。介護保険サービスを使うと「介護していない」のですかね? 自力のみで介護する人がわからないのは当然ですが、国はどう考えているのでしょう。介護保険サービスを使えばあとは楽々・・・というわけではないのですが。

◆キーパーソンの役割 キーパーソンに指定されると、毎日のようにあちこちから電話がかかってきました。ケアマネージャーやヘルパーさんの派遣会社や関連のレンタル会社や諸々、覚えきれないほどです。ほぼ全部が平日の昼間で仕事中です。通院の付き添いも、ヘルパーさんに頼むには多くの制約や追加費用があるため、仕事を休んで付き添いました。実際に要介護者に手を触れる以外にも、やらねばならないことは山のようにありました。(通院や退院付き添いの記事のひとつです↓)

◆直接的でない介護 同居してすべてのお世話をする介護はどれだけ大変だろうと想像します。私は別居でしたのでその苦労はほぼしていません。

それでも義両親が施設に落ち着く前には、あまりに急な休みや早退が多くて会社をクビになりかけました。適切な表現が見つからないのですが、精神面を除外して業務風に言うと「多大な工数をかけ」ました。直接の介護以外にも、介護に絡んで義実家の売却などの大仕事もありました。やはり平日に多くの労力が必要でした。

◆並行する事情 私の義実家の場合、義両親ふたりがほぼ同時期に要介護状態になったこと/夫も不調で動けなくなったこと/夫に兄弟がなく助け合う人材がなかったことなどで負担が増大しました。介護と並行した事情を抱える人は多いだろうと思います。子育て中だったり家族に病人がいたり。

 社内に介護の相談窓口がある会社もあるそうですね。どんな助けになってもらえるのか、私は病院内の相談が役に立たなかったことがあるので気になります。

ビジネスケアラーが増えているらしい

 私もビジネスケアラーと言えるのかな。働きながら何年も義両親の介護に携わったし、自分の両親もそろそろ要介護に入ってきています。下の記事↓には共感できる部分がいっぱいでした。青文字が記事からの抜粋です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/dc62a7ef81fd4f5659ae95e98ec45fd203a747df

「娘なのになぜできないの?」50代前半では8人に1人が当事者「ビジネスケアラー」の過酷すぎる選択

            

⭐️本当に必要なことはやってもらえない……介護サービスに対する母親の不満が爆発

確かに、介護保険を使うと頼めることに制限が多かったです。しかもスケジュールがきっちり決まっていて時間の余裕もありません。

 義実家の愛猫ノンちゃんが亡くなった翌日、担当ヘルパーさんは猫好きな方でした。その方は義母と一緒に泣いてくださったそうです。そういう寄り添い方は大変うれしいです。ただ、その日は予定にあった掃除をする時間がなくなりました。こちらはお掃除以上にありがたかったですが、ヘルパーさんは記録を誤魔化すことになり面倒だっと思います。

とにかく事前の計画以外のことは頼めません。私も義母のジャージの裾上げを手伝ったことがありますが、家族と離れている人は難しいですね。ほんのちょっとしたことなのに。ヘルパーさんを個人で雇えば融通がきくでしょうけれど、お金の負担が大きいです。

 

⭐️子どもには親のプライドより安全安心が大事。だから生じる大きなズレ

安心安全を最優先に考えるのはよくわかります。夫が何度も義父を怒鳴りつけたことがあり、一時は義父に「もう俺が死ねばいいんだろう!」と言われました。小さくても会社社長だったし、親戚一同をまとめるような立場にあった義父なのに。

 

⭐️『介護=親のそばにいる=親孝行』とするこのマインドが、仕事と介護の両立に悩むビジネスケアラーの最大の問題

⭐️『自分がそばいなければ』という思いは、親のためではなく、自分の不安を解消するためのものになっていないでしょうか」

DV時代に共依存の経験で学んだことと、とてもよく似ています。世話をやくことが自分の義務だと思い込んでいましたが、間違いでした。むしろ相手を子ども扱いする傲慢さだと納得しました。「自分の不安を解消するため」ということろは介護者全員が心に刻んでおくと良いと思います。

 

⭐️母はきっと転倒を未然に防ぐことより、転倒しようが自分の家で自由に動くこと、そして、娘の怒った顔ではなく笑っている顔を望んでいたのかな、と。 

⭐️その地域に住み、サポートを受けるのは要介護者自身。本人がどう受け入れるか、子どもは黙って見守るしかない

こういったことも悩みました。今も私たちは、義両親の本当の願いは最後まで自宅で過ごすことだったと思います。実行するにはフルタイムの介護者が必要です。でも私が仕事をやめれば我が家は無収入で、あっという間に自滅します。夫は体調不良でいつ実家に行けるかわからなかったし、彼に下の世話などは絶対に無理です。

 そろそろ心身の限界にあった私に、夫は自分も動けないのに「もう十分だ。手を退け」と言いました。ある意味の修羅場です。でも私たちが手を離したら、あらゆる手続きをする人が居ず介護をうけられなくなるのでは? そうなったら・・・義両親がいずれ特殊清掃業者さんのお世話になる、恐ろしい想像をしました。幸いにも、義両親は実家を売って施設に入ることを了承してくれました。

 

 あのころも、かつて共依存に取り組んだ経験が役に立ちました。今日はもう書き疲れてしまったので💦過去記事を貼ります。

父との面会&母の誕生祝いの日

 最後に父に会ったのはいつだったか、調べたら1年半も前でした。今いる施設に転院してから手紙や電話でしか関わっていません。

 

◆面会制限の緩和 施設の1階で手洗い・うがいをすると、父のいるフロアまで行けました。制限は緩和されたものの面会は15分限定。部屋には入れず、広い廊下の一角にあるソファとテーブルで会います。父は歩行器を使ってゆっくり歩いてきました。声は元気そうだし、髪も散髪され髭は自分で剃っているとか。(刃物厳禁なので電動カミソリ限定)認知症っぽさは感じませんでした。

もっと家から近く安い施設に移れそうだという話を伝えます。父は家に帰りたいはずですが、母にはもう父の世話が無理です。おとなの歩行器は↓こんな感じです。

                

◆差し入れ 桜のカステラとペットボトルのお茶と缶コーヒーを持ちこみましたが、父はカステラは食べずお茶だけ飲みました。甘いもの好きなわけではないとわかっていますが、何にすればよかったのかな。あっという間に15分が過ぎ、缶コーヒーはスタッフが父のポケットに入れながら「部屋には持って行かないでね」と言われました。他の入所者さんのヤキモチを防ぐためで色々と気を使います。帰りはスタッフの促しでエレベーターまで見送りに来てくれて、父は名残惜しそうな表情でした。

 

◆母の誕生プレゼント 実家によって母との時間も過ごしました。遅れ目のプレゼントはリクエストのあった折り畳み傘。晴雨兼用でUVカット、耐風、遮熱などの機能を伝えると「そんなに高価な物じゃなくていいのに」と言われました。いや😅別に高価なものじゃないから。でも喜んでもらえてよかったです。

◆母のパソコン 「ウイルスが入ったので電話してください」という詐欺画面がまた出たらしく「怖いからそのまま消してある」と言います。電源を入れてタスクマネージャーで終了させました。他に「このDVDが読めないの」と言いますがそれは私にもわかりません。「動画の音が小さ過ぎて聞こえない」というのは、パソコン自体の音量を上げました。どうして小さくなったのかは不明です。母は動画に表示される音量しか見ないので、最大にして必死に耳をパソコンに近づけていたそうです。直し方を説明しても「覚えられない」と言われるので、教えるのは諦めました。

 

       

◆家庭菜園 写真は実家の庭・・・というよりミニサイズの畑です。左の写真は絹さやで、他にブロッコリーや小松菜などが植えられています。畑はセミプロの友人が世話してくれたとか。あの歳になっても親しい友人をつくれるのは母のすごいところだと思います。採りたて野菜の他にも、山のように食材をもらって帰ってきました。

 私自身もいい歳なのに、いまだにこちらが提供することより両親からもらうことの方が多いなとしみじみ思います。

久しぶりに父と会う予定

 来週、かなり久しぶりに私の父に会いに行きます。父は今⚪︎⚪︎ケアセンターという病院と老人ホームの中間のような施設にいます。会うと言っても、コロナ禍以降いまだ面会時間は15分のみで一度に2人までです。あっという間に終わるでしょう。

(雪花草の花言葉は「君にまた会いたい」「デリケートな美」など)

          

◆何か差し入れたい 施設に電話して「差し入れできるものはありますか?」と聞くと、「なま物はNG」「ハサミや筆記用具など(先が尖っている)危険物はNG」とのこと。父の好物は刺身なので、持ち込みは無理ですね。そのまま本人に電話を取り継いでもらい聞いてみました。

「面会に行けるけどほしい物ない?衣類は足りてる?読みたい雑誌とかは?」と聞くと「気持ちだけで十分だよ。衣類も余るほどあるよ」と言われました。声は思ったより元気で安心しました。

◆電話をくれなくなった 数年前は入院中の父に手紙を出すと、病院の公衆電話を使って「ありがとな」と電話をかけてくれました。今の施設には公衆電話がなく、入所者が電話したいときはスタッフに携帯を借りることになっています。それが面倒なのか、まったく父の方からは連絡がありません。スタッフに頼むのが面倒なのか、それとも電話すること自体が面倒なのか。はたまた私の手紙を気にかけてくれなくなったのか。手紙はスタッフが一緒に読んでくれるので届いてはいるはずです。

◆義父との比較 最晩年の義父を思い出します。義父は施設に入ってからは行事があっても部屋から出ず、他者と交流することもありませんでした。食事時は職員さんが車椅子で食堂に連れていってくれましたが、食べ終わると部屋に戻って横になりたがりました。私と夫が面会で散歩に誘っても断ります。車椅子で近所の公園に行きたいと言うと、職員さんは歓迎してくれたのですが。

それほど疲れやすくなるものなのかと思いました。一日中うとうと半分眠っているようで、大好きだった甘い物にも以前ほど興味を示さなくなりました。

◆私の手紙 私の父も、あのころの義父の状況に近づいているのでしょうか。電話をすれば喜んでくれているようではありましたが。私の手紙は記憶に入っているのかなあ。伝えたいことや母のことで理解してほしいことなど書いてきました。本来、読み終えた手紙は職員が預かることになっているそうです。←無くしたり、稀に食べてしまう人もあるそうで。でも私は「無くしても構いませんから私の手紙は本人が読めるところにおいてください」と頼んであります。頭の刺激のためにも、たまには読んでくれるといいなと思うのですが。

◆会いたい 私を娘だと認識し気遣ってくれるだけでもありがたいことかも知れません。あと何回くらい会えるのかな。そして何回くらい心の通じる対話ができるのかな。

コロナ前のように、早く好きなだけ会える世情になってほしいです。それでも頻繁には行けませんから。

漫画「お別れホスピタル」を少し読んで

 ネットで途中までは無料で読める漫画で、ターミナル(終末期病棟)のお話を見つけました。実写ドラマ化もされているようです。「漫画 お別れホスピタル」で検索すれば見つかります。

            

 これは義母が最後の3ヶ月ちょっとを過ごしたような場所だなと思いました。私は利用者側でしたが、看護師さんの立場や思いにふれることができました。義母が入った場所は療養型の病院と聞いていました。

◆ゴミ捨て場と呼ばれる 漫画ではターミナルが「ゴミ捨て場」と呼ばれると書かれています。私も初めてお見舞いに行く時に乗ったタクシー(不便な場所で夫の体調不良もありいつもタクシーでした)の運転手さんに似たことを言われました。記憶が曖昧ですが、厄介払いというような言葉でした。義母自身が「これ以上痛い思いも恥ずかしい思いもしたくない」と言ったゆえの転院でしたが、そのように見られることが多いようです。

 漫画では自分で歩ける人もいましたが、義母と同じフロアにそういう人は居ませんでした。患者同士のおしゃべりも見たことがありません。私たち以外のお見舞いの人も、会うことは少なかったです。

◆患者との会話 ああいう場所で働くのはさぞストレスが多いことと思います。漫画の主人公の看護師さんは自宅で飼い猫に癒されたり、「お気に入りの患者さんに話しかける」ことでストレスを回避していました。患者を差別するわけではないと思いますが、動けなくても会話して和めるような患者さんもあるのですね。

義母は認知症にもなっていないし、会話する力があったころには良い患者だったかも?と思いました。

◆予防接種と病院の利益 インフルエンザワクチンが体に合わず接種以降寝たきりになって亡くなった患者さんの話がありました。義母は亡くなる8日前に「予防接種はどうされますか」と聞かれ夫が断りました。もし接種したらもっと早く亡くなったかも知れません。

営利目的の施設ですから報酬に結びつくことをするのは仕方ありません。漫画によると「人工呼吸器などの延命治療がもっとも点数が高い」とのことです。

義母とは別に、若くして倒れた私の元同僚の女性のことも思い出しました。彼女は半年の植物状態の後に意識は取り戻しましたが、漫画にはずっと意識のない女性が登場します。

◆食べられなかった義母 漫画にはオヤツに執着する患者や、スタッフに恋する患者などが出てきます。やはり義母が食べられなかったことを思い出します。毎日の食事もたまに3時に出るデザートも、義母はきっと同室の患者さんを横目で見るだけでした。食べることが大好きだったのに。「食べる夢ばかり見る」とも言っていました。義母は最後の時期に何か楽しみはあったろうか? と考えると辛くなります。まだ自宅にいたころでさえ「元気だったころのこと思い出したら悲しくなっちゃったわ」と言ったことがありました。

◆最後の時期 年をとってボケるのは「死を怖がらなくなるため」だという説を聞いたことがあります。ではボケずに状況を認識できるまま最後が近づく時、人はどんなことを考えるのでしょうか。

はたして私はそのとき謙虚に振り返れるだろうか。誰も恨まず運命を呪わず死を恐れず、自分の人生にお礼を言って去れるだろうか。肉体的にも辛そうで想像すると怖いです。でももし理性と時間に猶予があるなら、そうやって過ごせますように。今からでもそういう自分になれますように。

介護目線でプレゼントを選ぶ

 買い出しついでに母への誕生プレゼントを探してきました。母に聞いたリクエストは折り畳み傘で、いくつか条件も確認しました。

 

◆プレゼントの探し方 地元のドンキ等には千円前後の物しか無く、自転車で少し足を伸ばしました。と言ってもダイエーや駅ナカのショッピングセンターで予算は3千円前後です。母も私もブランドには関心がなく、使いやすくて気に入れば何でもOK。季節のせいか晴雨兼用が多く、最近はUVカットや耐風など多機能ですね。

探し回るうちに、自分が義両親の介護経験から選択条件をしぼっていることに気づきました。晩年の義母の様子を思い出したおかげです。

◆三つ折り コンパクトになる三つ折りは前から気になっていたので手に取って試しました。長所:バッグに入れるには最高です。短所:たたみにくかった!

二つ折りをたたむのもちょっと面倒なのに、三つ折りはもっとクシャっとします。出かけた先でモタつきたくないし、視力や手の力が衰えるほどやりにくくなります。三つ折りは見送ることにしました。

◆ワンタッチ開閉 今は折りたたみでもワンタッチがありますね。畳んだ状態からボタンひとつで開きます。ワンタッチで閉じるところまでは完璧。問題は閉じた後でした。傘の中棒は伸ばした状態なので引っ込めなくてはいけないし、畳むのは手動です。

中棒を縮める際にバネのような反発力を感じました。多分、ワンタッチでさす際にバネの力で伸ばすのでしょう。戻すときにこのくらい押す力が必要だということは・・・厳しいかも知れない。母は以前からばね指で悩んでいたし、最近は文字を書くのもつらいと言っていましたので。

◆メンズ仕様 母はぽっちゃり体型なので「小さ過ぎない傘」が条件でした。メンズ仕様の傘は大きくて丈夫そうです。母の体だけでなく手荷物も雨に濡れないでしょう。デザインは地味というより無骨ですが、機能を優先するべきだし明るめの色を選べば気にならないと思います。

でも手にしてみると・・・重い! 畳んだ状態の大きさでも小さいカバンには入りません。これも除外しました。

          

◆遮光、耐風、遮熱、UV この辺は嬉しい条件です。リクエストは雨傘ですが、防水コーティングのある晴雨兼用ならいいでしょう。母は肌が弱く暑がりの汗っかきで、夏の遮熱やUVは必須です。散々悩んで写真のうちグリーンの傘を選びました。外側がグリーンの無地で、内側は遮光のためなのか黒です。サイズの55cmも女性が使うならまあまあかな。50cmの傘もありますので。

◆買ってから思う 母の思惑通りいずれ私の物になっても、これなら通勤バッグに入れて持ち歩けます。それより母に元気に使いまわしてほしいですけれど。

傘の写真を貼ろうと検索して気付きました。通販で買えば良かったのでは? その方が種類は多いし楽です。でも実際に手に取ったから気付けたことがたくさんあったので、良しとします。

 今後両親とかかわる時には、個人の好みや条件以外に介護目線も必要だと思いました。両親とはたまにしか会わないため、細かい生活の不便さは把握できません。

義両親が体験させてくれたことを役に立てます。役に立てば私の両親だけでなく天国の義両親にもちょっと喜んでもらえそうな気がします。

誕生プレゼントさえ終活につなげる母

 今月は私の母の誕生月なので「欲しいものある?」と電話しました。ずっと元気だった母も、段々歩くことや自転車の運転が危うくなってきています。

◆便りがないと 実は先月は母の方から電話が来ました。「ちっとも音沙汰ないけど大丈夫なの?」と。そんなに連絡していなかったかな。私は結婚後に散々心配をかけてしまったので、「便りのないのはいい知らせ」という常識(?)が通用しません。私の母にとって「便りが無いのは娘の危機」くらいの感覚でしょう。母が加齢で若干気弱になった可能性もありますが。

マメに私から連絡すれば良かったのに、夫の味覚異常等々で余裕がありませんでした。自分が明るくおしゃべり出来るときしか電話したくなくて···反省。

◆欲しいもの 母が誕生日にほしい物は「折りたたみ傘が壊れたから買って」とのこと。決して高価なものはリクエストされません。大きさやデザインの好みを聞けば「あんたの好みでいい」と言います。

私は持ち歩く機会が多いから雨晴兼用で小型で軽量な傘しか持たない、と言うと「小さすぎると体がはみ出るから(←母はぽっちゃり体型)それなりの大きさで」「派手過ぎる原色以外」と若干絞られました。

             

◆私に残すもの 話すうちに「あんたの好み」と言われた理由がわかりました。母が亡くなった後に私に使ってほしいから·····う~ん。ありがたいやら切ないやら。

義実家売却前の片づけを母に手伝ってもらい、私の実家には義実家から引き取った物が結構あります。義母の傘のデザインはかなり地味でした。それで母は、自分が残すものは私にも使えるものにしたいようです。これも母の終活でしょう。自分の友達に残したいものは直接本人に伝えているかも知れません。

◆進む終活 母の終活は進んでいます。実家の天袋はかなり隙間ができました。今は「お父さんが死ぬまで入っていられる施設に」移動できるよう探しています。今父が入っている病院はいずれ出なくてはならないため、もし「自分が先に逝ってしまったらあんたたちが手続きに困るから」と言います。夫を看取ってからでなければ自分は死ねない、と考えるのは義母も同じでした。残念ながら義母は義父より先に逝きましたが。

「今度来たときお隣のご主人を紹介するから」とも言われました。家で母に何かあれば最初にお世話になるのはご近所さんだからです。

◆終活の理由 母は身内を何人か看取った際や後始末でかなりの苦労を経験しています。私の義実家を見た記憶も新しいでしょう。自分が死んだ後、私たちに苦労させたくない気持ちが強いようです。もともと「人に後ろ指をさされたくない」と考えるタイプなので、可能な限り片付けるつもりでしょう。

◆実感が持てない 最近の母はそういう話を普通の世間話のようにします。ただ情に脆いタイプなのでうっかりすると涙ぐんでいます。

私は大抵クールに反応します。どこかまだ実感がうすいからそうできるのだと思います。まだ先のことのはず・・・出来るだけ先であってほしい。父はすっかり弱ってしまったけれど、せめて母にはずっと元気でいてほしい。

でも私自身がちゃんと動けるうちに見送ってあげたいから両親の長生きはほどほどで···なんて矛盾したことも考えます。